サンタさんもおどろく歌


(ガラスの国のサンタ)
『ママがサンタにキスをした』という歌はジャクソン5で聞いていたので、英語
歌詩の内容は知っていました。
クリスマスの日、子どもがこっそり起きていて、ママがサンタクロースにキスしているのを見てしまった一場面の歌。
 最近生まれて初めて、その歌の日本語版を聞きました。
聞いてショック!!
なんと歌の最後に「でも、そのサンタは、パパ〜♪」と言っているのですね!
サンタと仲良くしているママを見て子どもが、パパが見たらどうしようとかドキドキするイメージで、この何十年も聞いていたのに…。
訳者の草野氏は、何故そんな結末に変えたのでしょうか?

先日、ある小学2年の男の子が言いました。
「幼稚園の年中頃までサンタはいると思ったけど、ぼくはもう知ってる。
家族がサンタになるんだよ。」
私は、
「○○君の家はそうかもしれないね。でも、家族がいろいろな理由でサンタになることが出来ない家もあるから、そういう家にはサンタがくることになってるのかもよ?」
と答えましたが、お勉強がよく出来る大人びた○○君は、反論してくるかなと思いました。けれど彼はうなづいて言いました。
「そうか!だから、サンタは来るって言う人と、来ないって言う人がいるんだね。」

 子どもには真実を伝えなくてはいけないと言われますが、
何が真実か、大人だからといって言い切れません。
この世界は、合理的なものだけの集合体ではないはずと思います。

一陽来復


(ふくふくした雀さん)
今年も冬至がやってきました。毎年思うことですが、明日からは少しずつ春へ向けて陽が長くなると思うとほっとします。
 

 いつのもの年より早く、私の身の回りではインフルエンザが流行ってきました。
学級閉鎖されていた学校もあります。マスクはちょっとした買い物へ行くにも必須です。
 風邪で寝込んだことは過去何度かありますが、一番忘れられないのが20代前半にこじらせた風邪。
 休みにくい多忙な時で、発熱や咳を無理やり薬で抑えながら出勤していました。ところが、ある時突然薬は全く効かなくなり、熱がぐんぐんあがり咳も止まらず…。病院へ行ったら肺炎になっていて、そのまま入院でした。
 若いから油断していた…の一言です。独り暮らしで食事はほとんど外食。朝昼はファーストフード、夜はラーメン屋や居酒屋といったあまり感心しない生活をしていました。
 かなりこじれていたので6日ほど入院していたのですが、大部屋の内科病棟の患者さんは皆ご老人。話す人もいないし、退屈なので点滴をひっぱりながらうろうろ散歩していると、廊下の手すりにつかまって一生懸命歩くおばあちゃんに話しかけられました。私の向かい側ベッドの方でした。
「あなたは、すぐに退院できるね。」
そのおばあちゃんがどのような病状で入院されていたのかは憶えていませんが、その言葉ははっきり憶えています。そのときは何気なく「はい。」と答えましたが、おばあさんの心にはいろんな思いがあったのでしょうね。
「あなたはすぐに退院できるね、これからは気をつけなさいよ。若さなんてあっというまよ。風邪をバカにしちゃいけないよ。」
または、「わたしはいつ出られるかわからないのよ。」
かもしれません。
今になって、つくづく思います。風邪を軽くみてはいけないし、自分の身体だからって自分が酷使していいわけじゃないことを思います。自分が倒れれば、必ず誰かしらに、心配や迷惑もかけるのですから。
 今夜はゆず風呂に入り、なんとかインフルエンザにやられぬよう気をつけたいと思います。

不明部分の物語


(つい買ってしまった土偶クリアファイル)
先週、国宝展へ行く機会がありました。
今回は私の大好きな土偶さんたちがいらしていると聞き、
人ごみ苦手な私も、気合を入れて訪問しました。
国宝の土偶5人衆がせいぞろいする期間から外れていることを知らずに行ったので、
お二人しか見られませんでしたが、お目当ての合掌土偶さんには会えました。
 今もその用途に謎が多い土偶さんには、さまざまな物語が浮かびます。
創造は勝手にふくらみ、おかしな話から怖い話までいろいろわいてくるのです。
 説明板に「当時のものと思われる修復痕がある」と書かれていました。
彼らは、修理しながら大切にあつかわれていたのですね。
それにしても、ふくよかな女性の体から、かなりスリムなボディスーツ風のスタイルまで、
様々な体系と姿勢です。おまけに、合掌土偶さんは口のまわりにヒゲみたいな点々までありました。
これからも、どこかの土の中からひょっこり現れてくれたら嬉しいです。

 旅行先で偶然見つけた博物館でも、思わぬ不思議なものと出会えるときがあります。
ギリシャの小さな博物館だったとおもいますが、ワイングラスのような器なのに、なぜか口が3つか4つもついているがありました。
「これで飲むとしたらかなり大変だろうな…。同時にすわないとこぼれちゃうし。」
私は顔面にいくつも長い口びるがある妖怪を想像し、説明の英文を電子辞書をひきながら必死に読みましたが、
結局『用途不明器』と書かれていました。わからなくて残念と同時に、わからないほうが楽しいとも思いました。
 物語の種が発芽する、用途・使途不明なものたちが大好きです。

遠い国からのプレゼント


8月にお会いしたオーストリアの出版社の方から、素敵なプレゼントをいただきました。
「ふわふわいいな/絵・うさ 文・たかぎなまこ」の韓国版が出版され、ハングル文字の絵本が入っていました。
それだけでなく、心のこもったお手紙と、今まで食べたことのないほど美味しいチョコレート、そして上の写真の木の実と、紅い押し葉も同封されていました。

 日本語で「セイヨウトチノキ」フランス語ではマロニエと呼ばれる、
日本の山地で大木をみかける栃の木です。
日本のトチは葉が黄色くなりますが、セイヨウトチは赤くなるのでしょうか。

 栃の実は、かなり手間をかけてあく抜きしないと人間は食べられません。ヨーロッパでは「動物たちが食べる栗」と言われていて、飾りなどにも使われるようです。
 しかし、日本では栃餅・栃の実せんべいなどになっていて、私も過去に何度かいただきました。福島生まれの母は、幼い頃に栃餅がご馳走だったとききました。
 
 その実を贈ってくださった方の気持ちが、実が入った箱の中からあふれ出てきたのを感じました。大切そうに、やわらかな紙にくるまれた押し葉からも。
「夏に私の町を案内した時、美しい大樹を紹介したでしょう?あの樹たちが秋になってこんなつやつやしたきれいな実をつけたのよ。」
贈り主の優しい声が聞こえる気がしました。
 
夏に散歩をご一緒させていただいた、オーストリア・クレムスの丘を思い出し、今はトチの樹の大きな葉がパサっと落ちてくるのを想像しました。
短くなる陽が、あっという間に冬を連れてくるのだろうなと思うと、あの時聞いた教会の鐘の音とともに、静かでせつない気持ちになります。

豹変した山


(イタリア・ソレント港からヴェスヴィオ火山 2014.4月)
先月末に御嶽山噴火が起きて以来、どうかすべての方がみつかりますようにと思ってニュースを気にしていました。
しかし、先週末で今年の捜索は中止になり、7名の方が山の上で冬を越すことになったことを知りました。
関係する方たちへ無神経に「今どんなお気持ちですか」とマイクを向けていた報道陣に、いつもながらやりきれなくなりました。
家族が当事者だとしても、彼らは同じ質問をするのでしょうか。
 
 2000年に起きた三宅島・雄山の噴火を思い出しました。
噴火が起きる数ヶ月前、私は雄山の山頂カルデラ・八丁平をハイキングしていました。
独りで何の届けも出すこともなく、休止している火山に何も不安を感じず、のんきに歩いていました。
 八丁平は緑に覆われた広々とした火口原で、鳥の羽ばたきがひびくほど静かな場所でした。
私はとても気に入ったので、また是非ちがう季節に来よう!と思いました。
 けれどその年の夏、雄山は山頂カルデラをふきとばして噴火したのです。
テレビに映った山頂は、大きく陥没した穴から噴煙を上げ、八丁平は消えていました。

 そんな記憶もうすくなってしまい、私はその後もいろいろな火山を訪れています。
十勝岳蔵王那須連山、霧島連山…今登っている山がどんな状態の火山であるか意識したかと聞かれると、ほとんどしていませんでした。
 この一ヶ月御嶽山のことを考えながら思いました。メディアがとりあげなくなり、噴火した記憶がうすくなってしまっても、豹変する山があることを一生忘れないようにしようと思いました。